天皇に弓引く逆賊?
観光スポットとしてメジャーな金閣寺と、ちょっと地味な等持院では
おのずと観光客も少ないというものでしょうが、それにしても、
あの室町幕府の初代将軍足利尊氏の墓石のなんと小さなことか。

足利尊氏公の墓 |
|

足利歴代将軍を弔う遺髪搭 |
後醍醐天皇を奈良の吉野に追い払って室町幕府をつくり
50年以上も続く、南北朝の混乱をひきおこした
逆賊としての仕打ちが、今も京都に残っているのでしょうか。
しかし、足利尊氏についての評価は、戦後大きく変わりました。
「保守勢力を破り新時代を築いた英雄」という評価もされ、
吉川英治は尊氏を主役に『私本太平記』を書きました。
実際その人柄は有能な政治家、謀略家ではありましたが、
戦場では勇猛果敢、情に厚くて、人を憎む事を知らぬ性格は
諸将の心をつかんで放さなかったといいます。
後に尊氏が帰依してから、後醍醐天皇の冥福を祈るため
嵐山に天竜寺を開基したことなどをみれば、
尊氏は、頼朝や信長よりも人物が大きかったといえます。
室町時代がない 「時代祭り」の行列
京都人ならほとんど知っている事ですが、じつは京都三大祭の
「時代祭り」の行列に「室町時代列」が無い事をご存知でしょうか。
東京に遷都され、京都復興の起爆剤として明治時代にはじまった
時代祭りですが、そのころは天皇崇拝が色濃い時代で、
天皇に刃向かった室町幕府の初代将軍であった足利尊氏は
逆賊との見方をされて、行列に室町時代列が作られませんでした。
室町文化の出発点 「等持院」
日本史を紐とくまでもなく、現代日本人が最も日本らしい
文化と感じる様々なものが、この室町時代に花開きました。
金閣寺以降の書院建築は桂離宮を初め現代日本建築の原点であり、
龍安寺の石庭や枯山水の庭園の始まりでもあります。
茶の湯の作法もつくられ、後の千利休にひきつがれ、
生け花もこの頃より広まりました。
観阿弥、世阿弥による能、狂言が大成し、
雪舟の水墨画や狩野派の絵画も起こりました。
短編の「おとぎ草子」は町衆たちに読まれ、
『一寸法師』『ものぐさ太郎』などは、身分のひくい者でも
才能や富の力で大名や貴族にもなれるという夢がえがかれており、
様々な庶民の文化として花開いた時代です。

御伽草子「ものぐさ太郎」 |
そして、その後の応仁の乱により、京都を離れた人々によって、
日本全国にこの文化が広がっていきました。
将軍 足利家の菩提所
等持院はその室町幕府の将軍、足利家の菩提所です。
霊光殿には左右両側に13体の歴代将軍像が一同に並べられており、
すごい迫力です。江戸時代の木彫ではあっても、おのずから、
それぞれの人品風格を彷彿とさせて、訪ねる人たちに、
波瀾に富んだ南北朝・室町時代の治乱と文芸興隆に身命を賭けた
忍苦の生涯を、静かに語り聞かせているようです。
また、庭園は夢想国師の作で三大名園のひとつと数えられ、
衣笠山を借景に取り入れていました。
今は立命館大学の建物により邪魔され残念な事になっていますが、
自由に散策でき、足利尊氏の墓碑をお参りする事もできます。
草書体の心の字をかたどって作られた「心字池」のたもとに、
秀吉の命により植えられたという有楽椿(ワビスケ椿)は樹齢400年
現存する有楽椿中、最大樹だそうです。
足利幕府の没落により、足利家の菩提寺であったこの寺も
荒れるにまかせていました。しかし日本文化の原点となる
北山・東山文化。幽玄、侘び・寂びの美意識に支えられた
室町文化の出発点はこの等持院からなのです。
等持院へのアクセス
| 住所 |
京都府京都市北区等持院北町63 |
| アクセス |
京福電鉄北野線等持院駅より北へ徒歩7分 |
| 電話 |
075-461-5786 |
| 営業時間 |
8時〜17時(入場〜16時30分) |
| 休業日 |
年中無休 |
| 入場料 |
500円(小中学生300円 |
| 駐車場 |
20台(無料) |
|
|

さすがに禅寺 迫力の達磨さん

足利尊氏 木像

後醍醐天皇


室町時代列がない時代祭り

茶室 清漣亭
雪舟

茶室から方丈を望む

霊光殿の歴代将軍木彫像

樹齢400年の有楽椿 |