荒川大作品リスト
(昭和12)大坂夏の陣〔衣笠貞之助〕
〜松竹京都下鵯撮影所入社〜
(昭和13) 黒田誠忠録〔衣笠貞之助〕
(昭和14) 残菊物語〔溝口健二〕
(昭和15) 浪花女〔溝口健二〕
(昭和16) 芸道一代男〔溝口健二〕
元禄忠臣蔵・前編〔溝口健二〕
(昭和17) 母子草〔田坂具隆〕
鳥居強右衛門〔内田吐夢〕
元禄忠臣蔵・後編〔溝口健二〕
(昭和18) 海軍〔田坂具隆〕
鷲王岬〔伊藤大輔〕
〜8月応召〜
(昭和19) 〜軍務に就く〜
(昭和20) 〜終戦〜
(昭和21)
(昭和22) それでも私は行く〔萬木孝一〕
〜フリーの装飾係に〜
(昭和23) 夜の女たち〔溝口健二〕
(昭和24) 森の石松〔吉村公三郎〕
わが恋は燃えぬ〔溝口健二〕
四谷怪談・前編〔木下恵介〕
(昭和25) エデンの海〔中村登〕
雪夫人絵図〔溝口健二〕
黒い花〔大曽根辰夫〕
(昭和26) 偽われる盛装〔吉村公三郎〕
愛妻物語〔新藤兼人〕
(昭和27) 原爆の子〔新練兼人〕
どぶ〔新鱗兼人〕
西鶴一代女〔溝口健二〕
(昭和28) 女の一生〔新藤兼人〕
千羽鶴〔吉村公三郎〕
夜明け前〔吉村公三郎〕
縮図〔新藤兼人〕
村八分〔今泉善珠〕
蟹工船〔山村聡〕
(昭和29) 足摺岬〔吉村公三郎〕
若い人たち〔吉村公三郎〕
芸者秀駒〔佐藤武〕
泥だらけの青春〔菅井一郎〕
(昭和30) 愛すればこそ
〔吉村公三郎.今井正,山本薩夫〕
狼〔新藤兼人〕
楊貴妃〔溝口健二〕
(昭和31) 女優〔新藤兼人〕
真昼の暗黒〔今井正〕
(昭和32) 異母兄弟〔家城巳代治〕
挽歌〔五所平之助〕
黄色いからす〔五所平之助〕
(昭和33) 女侠一代〔内川清一郎〕
〜京都歌舞伎座 映画部へ〜
螢火〔五所平之助〕
呪いの笛〔酒井辰雄〕
夜の鼓〔今井正〕
(昭和34) 江戸遊民伝〔萩原遼〕
太陽に背く者〔酒井辰雄〕
高丸菊丸〔丸根賛太郎〕
(昭和35) 女の坂〔吉村公三郎〕
太陽にかける橋〔H・N・ベリエ(仏国)〕
(昭和36) 雲がちぎれる時〔五所平之肋〕
飼育〔大島渚〕
(昭和37) 海猫が飛んで〔酒井辰雄〕
〜NHK名古屋へ〜
(昭和38) 怪談〔小林正樹〕
(昭和39) 鬼婆〔新藤兼人〕
乾いた花〔篠田正浩〕
(昭和40) 四谷怪談〔豊田四郎〕
姿三四郎〔内川清一郎〕
(昭和41) 処刑の島〔篠田正浩〕
望郷と掟〔野村芳太郎〕
白昼の通り魔〔大島渚〕
007は2度死ぬ(米国)
(昭和42) あかね雲〔篠田正浩〕
無理心中 日本の夏〔大島渚〕
上意討ち一拝領妻始末一〔小林正樹〕
日本春歌考〔大島渚〕
(昭和43) 怪談残酷物語〔長谷和夫〕
吸血鬼ゴケミドロ〔佐藤肇〕
帰って来たヨツパライ〔大島渚〕
絞死刑〔大島渚〕
夫婦善哉喜劇〔土居通芳〕
(昭和44) 心中天綱島〔篠田正浩〕
橋のない川〔今井正〕
新宿泥捧日記〔大島渚〕
(昭和45) 無頼漢〔篠田正浩〕
いのちぼうにふろう〔小林正樹〕
(昭和46) 婉という女〔今井正〕
沈黙〔篠田正浩〕
(昭和47) 子連れ狼・冥府魔道〔三隅研次〕
(昭和48) 青幻記〔成島東一郎〕
(昭和49) 桜の代紋〔三隅研次〕
(昭和50) ある映画監督の生涯〔新藤兼人〕
桜の森の満開の下〔篠田正浩〕
(昭和51) 愛のコリーダ〔大島渚〕
(昭和52) お吟さま〔熊井啓〕
(昭和53) 愛の亡霊〔大島渚〕
(昭和54) 黒髪〔栗崎碧〕
(昭和55) 炎のごとく〔加藤泰〕
(昭和56) 曽根崎心中〔栗崎碧〕
悪霊島〔篠田正浩〕
北斎漫画〔新藤兼人〕
(昭和57) 戦場のメリークリスマス〔大島渚〕
犬死せしもの〔井筒和幸〕
裸足の人〔播磨晃〕
(昭和58)瀬戸内少年野球団〔篠田正浩〕
(昭和60)鑓の権三〔篠田正浩〕 |
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大さんの父 荒川潔 |

松竹下賀茂撮影所 |
溝口健二監督 |

昭和14年「残菊物語」撮影風景 |
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独立プロ
昭和31年 今井正監督「真昼の暗黒」 |
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昭和50年頃の京都大映撮影所 |

授賞式で西岡善信、宮川一夫、篠田正浩氏らと |

「戦場のメリークリスマス」 戸田重昌氏とフィジーにて |

昭和60年「鑓の権左」台本 |
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大さんはフリーの映画小道具スタッフとしてその生涯をまっとうした。
大さんの父潔(きよし)は、美術品の目利きができた事で、当時、映画撮影のための道具貸し出し業を始めたばかりの高津嘉之氏に見込まれて、現在の高津商会草創期に大いに力を貸した。
その影響から、自然の成り行きで大さんも、小道具一本の裏方として映画業界に入っていくことになった。
携わった映画は100本近くに上り、溝口健二監督から大島渚監督まで多岐にわたる。
特に病的なほどに小道具にうるさい溝口健二監督と積極的に渡り合いながらも、その人柄を愛され、私事に渡ってもよく仕え、目立たない影の裏方として作品全てを支えた。
溝口健二の、映画に対する異常な情熱に対して多くの人が畏怖さえ感じたという。大さんはそんな溝口流カツドウ屋精神を守り続けた、最後の映画人の一人だったのではないだろうか。
「娯楽だった映画が総合芸術といわれるようになったのは溝口健二がいたからだ」とよく讃えられる。そのおかげで、大さんは
「小道具係り」から「装飾家」といわれるようにしていただいたと言った。
その後大さんはフリーの装飾屋になった。
会社に所属しないには訳があった。大さんは好きな映画や監督としか仕事しないのだ。
完璧主義の溝口監督に鍛えあげられた大さんが、大量生産される大手のマスプロ映画に魅力を感じなかったのは想像できる。そしてその後、独立プロの映画スタッフとしてその力を発揮する。
独立プロとは、戦後のGHQ統治下の撮影所における労働争議に端を発し、レッドパージによって退社を余儀なくされた映画人が合流して、50年代初頭に華々しい展開を見せた独立プロ運動を指す。
フリーになったスタッフには有能な人材が多くいた。そのため、東宝、松竹、大映といったメジャーの撮影所に劣ることのない、格調高く、リアリズム、ヒューマニズムに溢れた数多くの作品が産み落とされていく。
しかし、独立プロの製作には慢性的な資金不足がついてまわり、多くのスタッフが手弁当で参加した。
大さんは、消え物の小道具予算を少しでも節約するためなら、鍋や釜、娘のランドセルや明日必要な教科書まで持って行くなど日常茶飯事でした。
相当の事にはもう慣れていた家族だが、さすがに仏壇を持っていかれたときには、あきれてみんな口がきけなかった。
ある映画では、家のほとんどの家財道具をみんな撮影所へ持っていかれたために、妻のハルさんはこう叫んだ。
「そんな事ならうちでロケをすれば良かったのに」。
優秀な監督に優秀なスタッフが集まるとは限らない。あのカメラマンだからとか、あの美術監督だからなどという横の関係が実はものを言う。
ましてや美術監督と装飾屋は気っても切れない関係だ。戸田重昌がやるなら俺もやるか。と言う風に優秀なチーフに優秀なスタッフが自然と集まってくるのだ。
実際の話、優秀な脚本と、優秀なカメラマン、優秀な美術監督がいれば、監督無しでもある程度の作品は出来てしまうだろう。
大さんはフリーの熟練職人であったために、会社に飼い殺しにされることなく、常に一流のスタッフと新鮮な気持ちで仕事に打ち込むことができた、幸せな映画人の一人ではなかっただろうか。
たとえ定期収入が無くっても、家にお金を入れなくても大さんにみんな憧れたのではないかなあ。
大さんは父親からの長い関係で、高津商会の小道具倉庫内なら隅から隅までを把握していた。そればかりか重文級の美術品までをも、会長との直談判で借り出すテクニックも持っていた。これには高津商会もホトホト困っていたらしい。
篠田正浩監督の「鑓の権三」では床の間に飾った香炉を前にスタッフ全員に叫んでいた「これには絶対に触れるな!この映画の制作費より高いぞ」・・・。 |
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