
禅問答とは、お寺で行なわれる悟りをひらくための修行です。
修行中の僧は、師匠から問題(公案)を与えられます。
公案をもらった僧は、必死になってこの回答を考えるのです。
回答が出たと自分なりに思ったら、師匠に自分の考えを提出します。
師匠がOKを出したら、悟りを開いたということになるわけです。
「手を両手で叩くと音がしますが、片手ではどんな音がするか」
これは有名な「隻手の音」という公案ですが、
若い僧たちが最初に簡単な公案をもらって、回答に漕ぎ着けるまで
だいたい五年くらいはかかるといわれています。
妙心寺の開祖、関山慧玄が生涯にわたって
弟子にOKを出したのは、たった一人だけでした。
いかに悟りをひらくのがむずかしいかが想像されます。
禅問答はおもに臨済宗独特のものですが、宗派に関係なく、
いや宗教の別なく、現代の便利で快適な生活を知ってしまった人間が、
修行をして悟りをひらくことは、たいへん難しくなったらしいです。
でも、すぐにキレたり、うつ病や自殺が増えてる
今の社会で生き抜く方が、昔よりはるかにストレスがあって、
難しいと思うのは私だけかなあ?
禅問答は凝りだすと、わけのわからないことで
人を煙に巻くのが快感になって、
おかしな人になってしまう、危険性をはらんでいるらしい。
禅ではこれを「魔境に入る」と表現しているそうです。
確かに、世間を見回せば心当たりのあるひとが、ゴロゴロいますねえ。
「悟り」と無縁の私達は、
せめて龍安寺でその破片でも感じてみてはいかが

禅問答の一休さん(一休宗純)作 「一休骸骨」
師匠と弟子の会話@
◆「私は、一切を捨てて何ももっていません。私は、どうするべきでしょうか」
○「捨ててしまえ!」
◆「捨ててしまえといわれても、もう何ももっていないのです」
○「その、捨てるものは何もないというものを、捨てるのだ!」
師匠と弟子の会話A
◆「心が不安でたまりません。この苦悩を取り去ってください」
○「その不安でたまらない心を、ここに出してみろ。安心させてやる」
◆「出そうとしても出せません。心には姿がないからです」
○「姿がないものに、どうして悩みなどあろうというのか」
「苦しみ」を捨てるのではなく、「苦しいと思う心」を捨てるのだ。
住職と客の会話
◆「住職。本当の禅問答を教えてください」
(住職、分厚い本を差し出して)
○「ここに載っておりますから、どうぞお読みなさい」
(客、ページを指差して)
◆「じゃ、住職、これはどういう意味ですか?」
(住職、別の分厚い本を持ってきて)
○「それならここに載っておりますから、読みなさい」
(客が質問するたびに、住職は分厚い本を持ってくる)
◆「お寺にこんなに本があるんですか」
○「はぁ、うちは全集(禅宗)ですから」
おあとがよろしいようで・・・
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問題 「瓢箪で鯰を捕るには?」

大津絵 高橋松山画 「瓢鯰図」 |

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