「龍安寺」と京都観光



京都 龍安寺  悟りの道

  「龍安寺」京都ウエストサイド物語 

  京都「龍安寺」悟りの道


「龍安寺の石庭」として知られる枯山水の有名な龍安寺は、
京都でも、なにか特別な趣のあるお寺です。

何が違うかと聞かれても困るのですが、
龍安寺の池や方丈、石庭などを見ていると
「観光客がいないときに、一人此処にたたずんでみたい」
そう心から思ってしまうお寺です。

龍安寺というお寺は庭を見ているのですが、
自分を見つめているような気がする・・・

そんなお寺が龍安寺なのです。

龍安寺境内案内へ

もったいない 龍安寺

若い坊さんが、お釈迦様の弟子にしてくださいと頼んだところ、
お釈迦様は柏の葉を三枚持ってきたら弟子にしてあげると言いました。

「なんだ、そんな簡単なこと」と思ったら、お釈迦様が言いました。
「その葉は、ほんとうに幸せな家族の庭に生えている木から、
採ったものでなければならない」という条件付でした。

若いお坊さんは、家々を回りほんとうに幸せな家族を探しました。
そして、一生かかっても三枚の柏の葉を集める事はできませんでした。


人は皆、それぞれ違った大きさの壷を、ひとつ抱えているといいます。
その壷には不満という水で満たされ、ちょろちょろあふれ出ています。
誰一人として半分や八分目の人はいないのです。

いつも人は、幸せになる為には○○が必要だと考えています。
それが手に入った時は一時的には幸せになれるかもしれませんが、
たぶんそれがずっと持続することはありません。

また不満がちょろちょろとあふれ出てくるのです。


龍安寺には方丈の北東に茶室「蔵六庵」があり、
その前に石造りの手水鉢(ちょうずばち)があります。
客が平伏して手を洗うところから「蹲」(つくばい)と呼ばれています。

水戸光圀が寄進したというものですが、刻まれた文字は、
水を張った「口」の字をそれぞれ重ねて
「吾唯知足」(われただたるをしる)と読みます。

「足るを知る人は、心は穏やかであり、
  足るを知らぬ人の心はいつも乱れている」。
人間の欲望にはきりがありません。
  だから、その欲望を満たすことを考えても意味はない。

現在の姿をあるがままに受け入れそれを素直に感謝する心が大切です、
という意味なのだと思いますが、だんだん話が難しくなってきました。

でもこれって簡単に言えば「もったいない」に通じていませんか?

今ある状態で我慢するという意味ではなく、
前向きに、今ある状態、今あるものに満足するという意味です。
「もったいないの心」が、これからの幸せ感、
スローライフにも通じるキーワードのような気がします。

ちなみにこの蹲の形は銭、つまりお金の形をしています。
うーん、どこまでも深い悟りの世界です。


そんな悟りの境地を模索しながら、竜安寺ご自慢の石庭を眺めて
ごろりと昼寝などできたら申し分ないのですが、
不謹慎と叱られそうなので、行儀よく座りなおして眺めてもらいます。

あまりにも有名な、俗に「虎の子渡し」と呼ばれる龍安寺の石庭の
庭に散らばった石は全部で15個あります。
しかしどの場所に座ってみても14個しか見えません。

必ずどれかの石がどれかの石の陰にかくれてしまうからです。
ではどうやって15個目の石を見つけるのか?・・・

それは心で見つけるのだそうです。
 











禅寺には禅問答

禅問答とは、お寺で行なわれる悟りをひらくための修行です。

修行中の僧は、師匠から問題(公案)を与えられます。
公案をもらった僧は、必死になってこの回答を考えるのです。

回答が出たと自分なりに思ったら、師匠に自分の考えを提出します。
師匠がOKを出したら、悟りを開いたということになるわけです。

「手を両手で叩くと音がしますが、片手ではどんな音がするか」
これは有名な「隻手の音」という公案ですが、
若い僧たちが最初に簡単な公案をもらって、回答に漕ぎ着けるまで
だいたい五年くらいはかかるといわれています。

妙心寺の開祖、関山慧玄が生涯にわたって
弟子にOKを出したのは、たった一人だけでした。
いかに悟りをひらくのがむずかしいかが想像されます。

禅問答はおもに臨済宗独特のものですが、宗派に関係なく、
いや宗教の別なく、現代の便利で快適な生活を知ってしまった人間が、
修行をして悟りをひらくことは、たいへん難しくなったらしいです。

でも、すぐにキレたり、うつ病や自殺が増えてる
今の社会で生き抜く方が、昔よりはるかにストレスがあって、
難しいと思うのは私だけかなあ?

禅問答は凝りだすと、わけのわからないことで
人を煙に巻くのが快感になって、
おかしな人になってしまう、危険性をはらんでいるらしい。
禅ではこれを「魔境に入る」と表現しているそうです。

確かに、世間を見回せば心当たりのあるひとが、ゴロゴロいますねえ。
「悟り」と無縁の私達は、
せめて龍安寺でその破片でも感じてみてはいかが


 
       禅問答の一休さん(一休宗純)作  「一休骸骨」

師匠と弟子の会話@
◆「私は、一切を捨てて何ももっていません。私は、どうするべきでしょうか」
○「捨ててしまえ!」
◆「捨ててしまえといわれても、もう何ももっていないのです」
○「その、捨てるものは何もないというものを、捨てるのだ!」

師匠と弟子の会話A
◆「心が不安でたまりません。この苦悩を取り去ってください」
○「その不安でたまらない心を、ここに出してみろ。安心させてやる」
◆「出そうとしても出せません。心には姿がないからです」
○「姿がないものに、どうして悩みなどあろうというのか」
  「苦しみ」を捨てるのではなく、「苦しいと思う心」を捨てるのだ。

住職と客の会話
◆「住職。本当の禅問答を教えてください」
   (住職、分厚い本を差し出して)
○「ここに載っておりますから、どうぞお読みなさい」
   (客、ページを指差して)
◆「じゃ、住職、これはどういう意味ですか?」
   (住職、別の分厚い本を持ってきて)
○「それならここに載っておりますから、読みなさい」
   (客が質問するたびに、住職は分厚い本を持ってくる)
◆「お寺にこんなに本があるんですか」
○「はぁ、うちは全集(禅宗)ですから」

          おあとがよろしいようで・・・

問題 「瓢箪で鯰を捕るには?」

大津絵 高橋松山画 「瓢鯰図」

最も有名な禅問答集


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