龍安寺境内のページ



 

「龍安寺境内」と京都ウエストサイド物語


「龍安寺境内」



左 妙心寺、右 龍安寺の石標。 山に向かって歩けば竜安寺はすぐ。
 

住宅街から、急に石畳の参道になる。
  

 
  

龍安寺前バス停に出た。 
 

境内を「きぬかけの路」が横切っている。

拝観料500円を払い、山門をくぐる。
 


 
三笑橋              

慧遠という坊さんは山奥に寺を建て、そこから決して出ませんでした。慧遠に会うには、彼の寺に出向かなければなりません。友人が来ると、慧遠は虎渓にある橋まで送ることがありましたが、決してそこからは外に出ませんでした。ある日、親しい儒学者と道教の師が来た折、あまりに話しに弾んで歩いていたために、気付いた時には完全に橋を渡りこしていました。3人は思わず顔を見合わせて大笑いました。仏教・儒学・道教のいずれも別なる教えではないという「三教一致」のお話です。
 

虎渓三笑 ( こけいさんしょう )
 

龍安寺垣という、独特の垣根が美しい。
 

 
 
  

参道にちょっと不気味な仏様

 
 

石段を登ると寺務所、方丈へとつづく。

 

寺務所入り口で拝観券を見せ、靴を脱いで方丈へ  
  

「龍安寺方丈石庭」 通称「虎の子渡しの庭」は、枯山水の庭の中でも特異な存在。
 

石は全部で15個ある
 

しかし、何処に座っても14個しか見えない。


 

その解釈を巡っては様々な説が唱えられている。
 

もとの方丈が火災で失われた後、塔頭寺院の西源院の方丈を移築したもので、慶長11年の建築である。
 

水戸光圀寄進の「吾唯足知」(われただたるをしる)と刻んだ蹲(つくばい)
蹲とは茶室の庭先に低く据え付けた手水(ちょうず)鉢のこと。
蹲とは、しゃがみ込む意味。茶室に入るには身分高い者も頭を下げるの意。
龍安寺の「つくばい」は、特に「蹲踞」と二文字で書いてある。
蹲踞とは「そんきょ」。両ひざを折ってうずくまり、頭を垂れて行う礼である。
 


残念ながら、これはレプリカである。
 

日本最古といわれる詫助椿の奥に、非公開の茶室「蔵六庵」がある。
本物の光圀の蹲も、その茶室に置かれてあるそうだ。

 

次から次へと修学旅行生たちがおとづれる
 

勅使門
 

塀の屋根も美しい桧皮葺

  
 
   

   
 

                       塔頭の「西源院」自体は非公開ですが、
 

庭を見ながらの精進料理が楽しめます。

 
 
納骨堂       


先の第二次世界大戦にて、ビルマ派遣野戦自動車隊に参戦した
当時の龍安寺ご住職の発願によって、亡き戦友達の慰霊の為に
昭和45年に、このパゴダが建立された。

 
 

パゴダ

納骨堂から鏡容池まで、苔の小道が美しい
 

平安時代の左大臣が衣笠山の西南麓に山荘を営み、その中に持仏堂を建て徳大寺と命名。
後にこの山荘は細川勝元に譲られて龍安寺の元となりました。山荘の面影を残す鏡容池。

 


時期には美しい蓮の花が咲く。  

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