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ある程度の歳をとり、
なるべくストレス少なく人生を送りたいと思うようになってくると、
芭蕉の弟子、去来がうらやましくなります。
去来は、宮中で名声を博していた儒医の次男でした。
一度は仕官を目指して武芸に励みますが、
性に合わなかったのか10年後、その望みを捨てます。
暦や天文に優れていた去来は、家業を手伝う一方で、
朝廷や武家の礼式や典故に通じた有職家、陰陽家として、
摂政親王家の家に出入りしていたといいます。
その後、蕉門十哲のひとり榎本其角を通じて芭蕉に入門し、
誠実に仕えて師からの信任も厚くなりました。
家族や友人、同門の人々に対しても情愛と心を遣う
たいへん好人物との評価が高かったと聞きます。
しかし、単に温厚誠実であったというだけではなく
「西国三十三ヶ国の俳諧奉行」とニックネームされるだけあって
西日本の芭蕉門をすべて束ねたその実績は高く評価され、
人としてあるべき本当の知的人物という印象を持ちます。
師を心から尊敬し、嵯峨にある自らの草庵、「落柿舎」にも
芭蕉を迎えるなどして師弟関係の親密さを深め、
芭蕉臨終のまぎわにもすぐにかけつけ、
誠意を尽くして看病をしたそうです。
落柿舎で、芭蕉は『嵯峨日記』を執筆し。
去来の『去来抄』は芭蕉研究の必読の書となりました。

前面の畑越しに見る小倉山の美しいこと。

主の所在をしめす笠と蓑。
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落柿舎が好きなのはそのスケールです。狭くも広くも無く、
自分を見つめ、世間を眺めるにはちょうどよい大きさに見えます。

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座敷にかかげられた五ヵ条の制札をみれば、

ひとつ、我が家の俳講に遊ぶべし、世の理屈を言うべからず。
ひとつ、雑魚寝には心得あるべし、大いびきをかくべからず。
ひとつ、朝夕かたく精進を思うべし、魚鳥を忌むにはあらず。
ひとつ、速やかに灰吹を棄つべし、煙草を嫌うにはあらず。
ひとつ、隣の据膳を待つべし、火の用心にはあらず。
感動・・・
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落柿舎の北へすぐのところにある、去来らしい小さな墓。自然石に「去来」の一文字。


去来先生、カッコよすぎる・・・
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