嵯峨天皇は平安遷都の桓武天皇から三代目にあたるが、
そこに落ち着くまでには、平安遷都反対派なる勢力が
まだまだ宮中にたくさんいたらしい。
奈良の古い仏教勢力が、まだ力を持っていたのかもしれません。
嵯峨天皇になってやっと平安京も落ち着いて余裕がでてきたらしい。
なぜそれがわかるのかというと、
「後院」を建設できるようになったからだそうです。
「後院」とは在位のうちから辞めた後の家をつくっておくことで、
まあ、隠居部屋を現役のうちから建てておくようなもの。
それは政治と財政に余裕がないと不可能だったわけです。
嵯峨とは漢語で「高く、険しい」といった形容詞で、
唐の長安のちかくにあった山の名でもあります。
世界でもっとも栄えていた長安の都に肩をならべたいという
雄大な構想が嵯峨開発、嵯峨院にはかけられていました。
その嵯峨院の跡地に、後につくられたのが大覚寺で、
その嵯峨院の寺院としてたてられたのは、二尊院です。
小倉山の東の麓、山号もまさに小倉山。
だから、嵐山を代表するようなお寺というわけです。

パンフレットより
二尊院は釈迦如来と阿弥陀如来の二尊を本尊とするところから
「二尊院」という名前がつきました。
大堰川開削の角倉了以が伏見城の薬医門を寄進したという総門をくぐり、
ゆるやかに登る広い参道を本堂に向かって進むと
そこは別名は「桜の馬場」または「紅葉の馬場」といわれています。
季節をえらばない絶景が来る人を感動させますが、
特に紅葉のシーズンには大変な人出になります。
その昔、寝殿造りの本堂前の庭には龍女が住み、
正信上人によって解脱昇天した故事をもとに「龍神遊行の庭」といい、
九頭竜弁財天が祀られています。
また、本堂南側の石庭は
浄土の世界をあらわしたもので「寂光園」といいます。

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二尊院の奥ふかくへ
九頭竜弁財天と鐘楼の間にある石の階段を登る観光客は以外に少ない。
二尊院の素晴らしさは、この奥にあるのにもったいない。


「角倉了以墓道」の石碑横を登る。
三条西実隆夫妻ら多くの公家の墓、角倉了以、伊藤仁斎、映画俳優阪東妻三郎など
鎌倉時代から現代に至るまでの各時代、各界の著名人の墓があることで有名です。

墓石や石組み、そして苔のひとつひとつに、時の流れを感じる。

シーズンでも観光客はあまり訪れないため、嵯峨野をゆっくり堪能できる。

法然上人廟
平安時代末期から鎌倉時代初期に、浄土宗の開祖となった法然上人のお墓に廟を建てた。


重要美術品となっている、三帝陵。
三帝陵とは鎌倉時代初期の土御門天皇、嵯峨天皇、亀山天皇(祖父、父、息子)の三帝の分骨が祀られている所。

角倉了以の墓

多くの公家の墓があり、菊の御紋が彫られている。

いかにも現代風の 坂東妻三郎さんの墓

藤原定家の時雨亭跡といわれる場所。
嵯峨嵐山には、あちらこちらに時雨亭跡がありますが、まあ二尊院の時雨亭跡が一番有名ということにしておきましょう。
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