「太秦古墳」と京都観光

京都 太秦エリア

 「太秦古墳」京都ウエストサイド物語

   

  京都 蛇塚古墳


昔、撮影所で働いていた義理の母は、蛇塚古墳の近くに住んでいた。
双ケ丘の1号古墳は私の遊び場だったし、北嵯峨大覚寺近辺の
古墳群や諸所の天皇御陵は、京都の人にとって
別にとりあげて珍しいものではなく、当たり前に存在するものだった。
生活圏が郊外へ広がり、古墳や史跡がどんどん侵食されていく。
開発業者にとっては、掘り起こせば何かが出てくる京都は厄介な土地だ。
しかし、発掘調査が終われば遺跡は埋め立てられて建物が建ち
その後、永遠に私達の目に触れる事はない。


 太秦 古墳マップ

現存する古墳   消滅した古墳
考古学に特に興味があるわけでもなく、あちらこちらの古墳を訪ね歩くほどの古代マニアでもない私は、
ただ、古きをたずねて新きを知る精神で、楽しい観光が好きだという平凡な人間です。

 でも、歴史的に重要と思われる史跡指定の公的基準ってどうなっているのだろうという疑問もあり、
また、その指定されたものに付帯する施設や景観保存に関して、日本は甘いのではないかなあと感じます。

 嵯峨野・太秦古墳群の多くが半壊、全壊しました。
経済効率優先の社会では、開発工事中の遺跡発見を迷惑がる人たちも多くいます。
遺跡が多い事で京都の経済的発展が遅れているのだという意見を述べる人さえいます。

しかし遺跡を埋設して、モルタルの家を増築したり、由緒ある寺社の周りを
コンクリートのビルで取り囲んだりすることを許して、それが保存しているといえるのでしょうか。

京都だからこそ他の都市とは違う崇高な価値観で都市づくりをしてもらいたい。
それがひいては京都のこれからの時代に左右されない産業基盤になると思うのですが・・・・。
  京都府下最大の古墳 蛇塚

 それは住宅街の真ん中に、びっくりするような形で目の前に現れた。

 地図を片手に、入り組んだ迷路のような路地を歩きながらの探索に、すこし飽きてきたところだった。しばらくそこにたたずんで写真を撮ったりしているうちに、なにか心の底のほうからこみ上げてくるものがあった。

 今まで行ったことのある古墳では感じなかったなにか。

 もちろん自分が生まれ育った土地の古墳である事での感慨もあるだろうけれど、その圧倒的な巨岩のボリュームと、すぐ間近に隣接する住宅のアンバランスが、独特の雰囲気をかもしだしている。

 1300年前、確かに人間の手で積み上げられた巨石が、ツーバイフォーの住宅に囲まれている様は、何かの間違いでタイムマシンに乗せられた石棺が突然現代に現れたような錯覚をしてしまいそうだった。

 奈良の石舞台のように、いかにも古墳見学にピッタリな斑鳩の、風情あるロケーションとは違うことが、逆に現代とのコントラストとして心の中に何かを呼びかけてきます。
    史跡 蛇塚古墳 (京都市右京区太秦面影町)
 
古墳時代後期末の7世紀頃築造された京都府下最大の横穴式石室。本来は全長75メートルを測る前方後円墳であった。早くから墳丘封土が失われ、後円部中央の石室だけが露出しているが、周囲の輪郭をたどると現在でも前方後円墳の形をとどめている。棺を安置する玄室は、奈良県の石舞台古墳よりも大きく、また床面積では、三重県高倉山、岡山県こうもり塚、石舞台古墳につぐ全国第4位の規模を誇っている。この太秦を含む嵯峨野一帯は、渡来系の秦一族により開発されたものとかんがえられており、京都盆地でも有数の古墳分布地区である。蛇塚古墳は、その規模や墳丘の形態などから見て首長クラスの墓と考えられる。なお、蛇塚という名前は、石室内に蛇が生息していたことから付けられた呼び名である。 石室全長17.8m 玄室長 6.8m 玄室幅3.9m 玄室床面積25.8m 昭和52年(国指定) 


 市民の宝物 双ケ丘古墳群
 京都には緑が少ない。まさかと思うかもしれないが、人口50万人以上の都市の中でも緑地がすくない街に入るらしい。

 見渡せば山に囲まれ、緑が多いように思うが、意外に街路樹は少ない。街中の公園も、京都御苑しか思い浮かばない。お寺や神社の数は多いが土地の有効利用で境内が小さくなって大きな樹木は少なくなった。観光都市、景観保全の看板が泣くというものだ。
 そんななか、双ケ丘の存在は贅沢といって過言ではない。宮内庁管理の立ち入り禁止の御陵を横目に、市民が自由に散策できる全長700メートル、標高100メートルほどの丘は、住民達の大切な宝物だ。

 三つのコブのように並んだ丘の一番北の山頂にある古墳は、現在は埋め戻されて石室内を見る事はできない。西山の連山とは孤立した、単独丘である双ケ丘は地域の象徴であったことは間違いないと思われる。ましてや低いとはいえ100メートルあまりの頂上へ巨岩を運び上げるにはたいへんな労力が必要だったろうと推測されることから、秦一族の中でも相当の有力者だったろうと思われる。

 山頂からは秦氏が支配した京都西部の眺めが一望でき、古代の京都に思いを馳せる事ができる、絶好のおすすめビューポイントです。
   史跡 双ケ丘古墳 京都市右京区御室双岡町
双ケ丘は古代氏族・秦氏の城だったらしく、一の丘の頂上以外にも計19基の古墳が確認されています。平安遷都後のこのあたりは、天皇が鷹狩を行なう禁野の地として知られるようになり、貴族の別荘が多く建てれれました。名勝「双ケ丘」の一の丘の頂上に築かれている最も大きな古墳は7世紀前半に築造されたと推定されています。規模は蛇塚古墳に次ぐ大きさ。径約44m、高さ6.5m  石室 全長14.6m。 蒼ケ部:高さ約8.5m、幅2.4m、高さ2.3m 玄室:両袖式 長さ約6.1m、幅3.6m、高さ5m  名勝指定 昭和16年11月13日

天塚古墳
  
 伯清稲荷社の森は嵐電蚕の社駅を南へ500メートルほど歩くと見えてくる。途中には宅地開発のために消滅してしまった清水山古墳跡の碑が寂しく立っている。

嵯峨野・太秦古墳群は京都の中でも規模の大きな歴史的史跡だが、多くが開発のために調査後埋設され、宅地や学校などの建物が建ち、その姿を今や見る事はできない。国の史跡に指定されない限り保存する事もできずに無作為な開発にさらされ、郷土の赴きも削り取られてゆく。

明治28年の石室発掘調査の際には、銅鏡、馬具、勾玉、鉄剣など約400点の副葬品が出土した。近辺の古墳分布や遺物などを考え合わせると、この天塚は近くの蛇塚や甲塚と同じく、大陸から渡来してこの地域をひらいた秦氏一族の墓と推定され、往時の土木技術や一族の勢力圏を探る貴重な手がかりとなっている


天塚古墳は嵯峨野では蛇塚古墳に次ぐ大きさをほこる前方後円墳で、特徴として二つの横穴式石室を持っていることです。でも、この古墳の面白さは、霊的スポットの感が大変強いその雰囲気です。夜にはとても怖くて近づけませんよ。

   史跡 天塚古墳 京都市右京区太秦松本町
 この古墳は6世紀半につくられたと推定される前方後円墳で、嵯峨野・太秦古墳群のなかで、史跡蛇塚古墳に次ぐ規模をもっている。墳丘には珍しく後円部西側の無袖式、西側くびれ部の片袖式と、2基の石室がある。石室内には現在、伯清稲荷大神の祭壇が置かれ、巨岩の組み合わせを見る事ができる。無袖式石室は、全長約10m、奥壁の高さ2.1m。片袖式石室は、社務所裏側の古墳くびれ部に南西方向に開口している横穴式石室で、右側の壁面に玄室と羨道の区別をつけており、全長約7.5m、奥壁の高さ2.1m。
 清水山古墳跡
 
清水山古墳は,全長約60メートル,横穴式石室を持つ前方後円墳。
5世紀末〜6世紀初頭の首長墓と考えられましたが、残念ながら
昭和48に、宅地開発によって破壊され消滅しました。





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