
川端龍子 「金閣炎上図」

市川昆監督 市川雷蔵主演 「炎上」

三島由紀夫

水上 勉

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1950年7月2日の未明、私の母は花園の自宅で産気づき、
近くの産院に運ばれて三歳上の姉を出産しました。
朦朧としながらも消防車のサイレンの音が激しく行きかうのを、
母はよく覚えていると話していました。
鹿苑寺から出火の第一報で消防隊が駆けつけた時には、
既に舎利殿から猛列な炎が噴出して手のつけようがなく、
金閣寺は内部の古美術品もろとも全焼しました。
不審火の疑いがあるとして取り調べたところ、
同寺の師弟で大学生の林承賢がいないことが判明。
夕方になり左大文字山で薬物を飲み切腹して
うずくまっていた林を発見し、放火の容疑で逮捕しました。
救命処置で助かった林は、当初動機として
「世間を騒がせたかった」「社会への復讐のため」などと供述。
しかし実際には自身が病弱であること、
実家の母から過大な期待を寄せられていること、
金閣寺が観光客の参観料で運営されており、
僧侶よりも事務方のほうが幅を利かせるなどの現実から、
厭世感情からくる複雑な感情が入り乱れていました。
三島由紀夫と水上勉は、この複雑な感情を解き明かそうとして、
文学作品を創作しました。
三島は「自分の不幸な生い立ちに対して金閣における
美の憧れと反感を抱いて放火した」と分析し、
水上勉は「寺のあり方、仏教のあり方に対する矛盾により
美の象徴である金閣を放火した」と分析しました。
実際のところ真相は永遠に解き明かすことはできません。
事件後、彼の母親は実家がある舞鶴に帰る途中に
山陰本線の列車から保津峡へ飛び降り自殺。
京都地裁は林承賢に懲役7年を言い渡しましたが、
服役中に結核と重度の精神障害が進行し、
1956年3月に病死。彼は母と郷里で一緒に眠っています。
今では、この事実さえ知らない若い修学旅行生たちは多い。
金閣寺の舎利殿は、まことに不思議な建物です。
1階は寝殿造風、2階は武家造風、
そして3階は禅宗仏堂風で、宝形造りの屋根は柿葺です。
公家、武家文化、仏教文化の調和とされ、
当時の全ての手法を駆使して
独創的な建築美を生み出しました。
そして衣笠山を借景として名石や奇岩を配した中で、
ご存知のように2〜3階の全面に金箔が押されています。
しかし唐寺院のような華美た派手さは微塵もなく、
華やかさの中に室町文化の香りが漂い、
まさに超絶的な落ち着きの調和を保っています。
事件を起こした林承賢は動機について、こうも述べました。
「・・・美しかったから・・・」
「宗教と経営」という問題について京都の諸寺院、
いや観光にあぐらをかく京都自身が、
今もおおいに考えさせられる事件でした。
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