「金閣寺」と京都観光 




 「金閣寺」京都ウエストサイド物語

  京都「金閣寺」 花の室町文化


昭和25年に金閣寺は放火され全焼しました。その後、
明治の金閣寺解体修理時の記録を元にした復元がおこなわれ、
全ての改修が完了し金箔が張り替えられたのは35年後のことでした。
しかし復元後もその人気は衰えず、金閣寺拝観は
今も京都観光の目玉コースになっています。
それは時間を超えた室町文化の華である究極の美を、
金閣寺で味わう事ができるからでしょう。


観光地としての金閣寺

とにかく金閣寺は曜日や季節に関係なく、多くの観光客で混雑しています。
はっきり言って、これほど観光化した寺院は京都でもそうありません。

金閣寺は正式には鹿苑寺ですが、通称名である金閣寺の方がはるかに一般的でよく知られています。
そして、金閣寺は寺院という感じがしない寺院です。
極楽浄土を現世に再現しようとした足利義満の別荘といった感じです。

焼失前の金閣を見たかったとは思いますが、国宝指定であれば、
現在の金箔張りに再現する事は不可能であったろうし、
ある意味では、創建当時を見ることができるのは幸せなのかもしれません。

金閣寺の縁起

 衣笠山一帯には鎌倉時代から貴族の山荘などが造られていました。
藤原氏の西園寺家が一時期隆盛だった1220年頃に造営した
北山(ほくざん)第は、その代表的なものでした。

その趣は比類なく斬新で、高さ15mの滝と碧瑠璃の美しい池には
誰もが驚き、地上の仙境、此岸の浄土ともいわれました。
その後西園寺家は衰頽し、北山第は荒廃していきました。
当時の遺構としては、僅かに池だけが残っています。

その後、将軍足利義満が、将軍職を辞し太政大臣になった1397年に
西園寺家からここを譲り受け、新たに北山第の大改修をはじめ、
北山殿を造営したのです。その中の舎利殿が金閣で、一層に釈迦三尊が
安置され、二層目は観音殿、三層に仏舎利がおさめられました。

足利義満の公邸?迎賓館?


         足利義満

     
夢想国師

義満は中央の室町殿で行っていた行事などを北山殿で行なうようになり、
その機能も移しました。明の勅使を北山殿で迎えたりして、
さまざまな文化を集めることで、北山文化を築きました。

夢窓国師は義満の死後、遺言に従い義満の法号である鹿苑院殿より
鹿苑寺を開山します。その後、応仁の乱で金閣他一部を残し
焼失しましたが、桃山時代に相国寺の西笑承兌が復興に努め、
ほぼ、現在の姿になりました。

ありがたい拝観券

  西大路の金閣寺道は、シーズンになると
  観光バスとマイカーによる渋滞で、
  地元の私たちはなるべく
  近づかないようにしていました。

  やっと西大路通りのホテル跡地に
  大きな専用駐車場を整備したので、
  今は渋滞も緩和されています。

  西大路通りからすぐの黒門を入り、
  「総門」から奥に進んで
  受付で拝観料を支払うと、
  大きなお札の拝観券を渡されます。

  ありがたいような、またそれだけに
  処分に困るようなチケットですので、
  後生大事に旅の思い出にしてください。


ウェルメイド・プレイ 金閣寺


期待したほどでもないとか、想像以上だったとか、観光スポットとは
とかく何かと言われるものです。

金閣寺には金箔の舎利殿以外にも見所はいくつかありますが、
入って最初に見せつけられる景色が、あの息を呑むような造形美なもんで、
後は付録のような気になってきます。

芝居の世界には、ウェルメイド・プレイという言葉があります。
結末が解っているのに感動するドラマがあるように、
観光客は絵葉書以上の感動を期待して金閣寺にやってきます。

以上か以下かは季節や時間、天候や気分によっても違うでしょうが、
絶対にここで記念写真を撮りましょうというベストポジションが
ちゃんと用意されている金閣寺の商売上手には誠に感心いたします。

金閣寺の魅力

美しい自然の景色に感動する事は、よくあることです。
また、京都には国宝に指定されている美しい庭もたくさんあります。
この金閣の鏡湖池を中心とした、室町時代の「池泉回遊式庭園」が
なぜこれほどもてはやされるのか、好き嫌いは別にして
よく考えながら眺めてみると、また見え方も違って見えてきます。

金閣は昭和25年に若い学僧の放火により全焼しました。
未だに謎の多いこの事件は、当時マスコミに大きく取り上げられました。
犯人の精神状態などが議論されましたが、
私は金閣寺の魅力について、この放火事件が
なにかを教えてくれているような気がします。










受付





金閣炎上と京都観光産業

   
川端龍子 「金閣炎上図」



市川昆監督 市川雷蔵主演 「炎上」


  
三島由紀夫


  
水上 勉



1950年7月2日の未明、私の母は花園の自宅で産気づき、
近くの産院に運ばれて三歳上の姉を出産しました。
朦朧としながらも消防車のサイレンの音が激しく行きかうのを、
母はよく覚えていると話していました。

鹿苑寺から出火の第一報で消防隊が駆けつけた時には、
既に舎利殿から猛列な炎が噴出して手のつけようがなく、
金閣寺は内部の古美術品もろとも全焼しました。

不審火の疑いがあるとして取り調べたところ、
同寺の師弟で大学生の林承賢がいないことが判明。
夕方になり左大文字山で薬物を飲み切腹して
うずくまっていた林を発見し、放火の容疑で逮捕しました。

救命処置で助かった林は、当初動機として
「世間を騒がせたかった」「社会への復讐のため」などと供述。

しかし実際には自身が病弱であること、
実家の母から過大な期待を寄せられていること、
金閣寺が観光客の参観料で運営されており、
僧侶よりも事務方のほうが幅を利かせるなどの現実から、
厭世感情からくる複雑な感情が入り乱れていました。

三島由紀夫と水上勉は、この複雑な感情を解き明かそうとして、
文学作品を創作しました。

三島は「自分の不幸な生い立ちに対して金閣における
美の憧れと反感を抱いて放火した」と分析し、

水上勉は「寺のあり方、仏教のあり方に対する矛盾により
美の象徴である金閣を放火した」と分析しました。

実際のところ真相は永遠に解き明かすことはできません。
事件後、彼の母親は実家がある舞鶴に帰る途中に
山陰本線の列車から保津峡へ飛び降り自殺。

京都地裁は林承賢に懲役7年を言い渡しましたが、
服役中に結核と重度の精神障害が進行し、
1956年3月に病死。彼は母と郷里で一緒に眠っています。

今では、この事実さえ知らない若い修学旅行生たちは多い。

金閣寺の舎利殿は、まことに不思議な建物です。
1階は寝殿造風、2階は武家造風、
そして3階は禅宗仏堂風で、宝形造りの屋根は柿葺です。

公家、武家文化、仏教文化の調和とされ、
当時の全ての手法を駆使して
独創的な建築美を生み出しました。

そして衣笠山を借景として名石や奇岩を配した中で、
ご存知のように2〜3階の全面に金箔が押されています。

しかし唐寺院のような華美た派手さは微塵もなく、
華やかさの中に室町文化の香りが漂い、
まさに超絶的な落ち着きの調和を保っています。

事件を起こした林承賢は動機について、こうも述べました。
「・・・美しかったから・・・」

「宗教と経営」という問題について京都の諸寺院、
いや観光にあぐらをかく京都自身が、
今もおおいに考えさせられる事件でした。
金閣寺公式ホームページへジャンプ

http://www.shokoku-ji.or.jp/kinkakuji/


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