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正式名称は、「木島坐天照御魂神社」と呼びますが、
本殿右側に養蚕神社が奉られているため地元では昔から
「蚕の社」(かいこのやしろ)と呼ばれて親しまれています。

養蚕神社 |
蚕ノ社の鳥居は、京都三鳥居のひとつといわれ、
「三つ鳥居」という摩訶不思議な形をしています。
この鳥居が、秦一族はユダヤの子孫でキリスト教徒だった
という仮説の証拠だという人がいます。
日本を代表する古都である京都がキリスト教文化の
影響を受けていたと言う大胆な説は、この蚕ノ社から来ています。
その昔、イエス・キリスト直系の12 使徒たちによる
古い原始キリスト教組織は、すべてユダヤ人でした。
彼らの組織はユダヤ戦争(西暦70年頃)以後、
エルサレムからヨルダン川のペラという町に移住した後は、
歴史上から忽然と消えて、まったく足跡が不明です。

最後の晩餐の十二使徒
しかし、その町からは、はるかなるシルクロードが走っており、
きっと、彼らは東へ向かったというのです。
1〜2世紀にかけて、中国に大量のユダヤ人難民が
やってきたのは、歴史的事実とされています。
この中に原始キリスト教ユダヤ人がいて、
後に海を渡り、秦氏になったという説です。

十二使徒もシルクロードを渡ったのか |
唐にはキリスト教の「大秦寺」という寺院がありました。
「大秦」とはローマという意味で、秦氏ゆかりの広隆寺は昔、
太秦寺と呼ばれていました。
「大」と「太」の字は昔は同じ意味で使われていましたし、
「うずまさ」の「うず」は「イエス」の音読み、
「まさ」は「メシア」にあたるのではないかとの考えです。
広隆寺の鎮守である大酒神社は、古代「元名大辟神」といわれ、
「大辟」を「ダビデ」と読んだとも言われています。

大酒神社 |
蚕の社の三柱鳥居は、
△と▽の合成で六芒星ダビデの星になることから、
この三柱鳥居もキリスト教に関わる
遺跡ではないかとの説もあります。

方角を示す石版 |
しかも、この三柱鳥居の一方からは、夏至の日の出を、
比叡山から遙拝することができ、正反対の方向には、
これも秦氏に縁のある「松尾大社」があります。
このように、三柱鳥居を中心にして、
山や神社、古墳などが、まさに六芒星の結界として張られており、
とても偶然この形に作られたとは思えない配置になっています。
風水にも通じた、今流行の陰陽道による、
京の都を守る結界に機縁するとか様々な説があり、
興味尽きないところであります。 |
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