常寂光寺と京都観光

 京都 嵯峨野「野々宮神社」
 

「常寂光寺」京都ウエストサイド物語

   

小倉山の「常寂光寺」


常寂光寺京都の嵯峨野にある小さなお寺です。

京都屈指の紅葉の名所でもある
小倉山の中腹にある常寂光寺は、
『百人一首』で知られる藤原定家の山荘、
時雨亭があったところと伝えられています。

南北朝時代の藁葺きの仁王門に
紅葉が散りかかる風情や
美しい多宝塔と眺める京の都は
定家の和歌の世界へ誘います。
小倉百人一首の藤原定家

     

「いい国つくろう鎌倉幕府」の1192年がちょうど三十歳。
平安時代末期から鎌倉時代初期という激動期を生き、
定家は歌道家としての地位を不動にしました。
分家の一つであった冷泉家は、現在も京都に続いています。


今出川通りにある冷泉家(裏は同志社大学)

二つの勅撰集、『新古今和歌集』、『新勅撰和歌集』。
ほかにも『定家八代抄』というのがあるそうですが。
やはり、私たちに馴染みの深いのは「百人一首」です。


「花の色は 移りにけりな いたづらに 我身世にふる ながめせしまに」 小野小町

中学校や高校で、百人一首を丸暗記させられませんでしたか。
幸い、わたしの通った学校ではありませんでしたが、
今になって思えば、やっておけばよかったと感じます。
今からでは到底覚えられませんから・・・

定家は18歳から74歳までの56年にわたり
『明月記』なる日記を書き綴りました。
2000年に国宝に指定されています。

なんとその「明月記」には、おうし座で
超新星爆発が起こったと記述があり、
天文学上、重要な資料となっています。


チャンドラX線天文台による画像の合成画像。

「明月記」の中にある「客星」という記事を、
日本の天文家が英文で世界に紹介して、
世界中の知るところとなりました。
それまで理論上のものであった「超新星爆発」の
初の実証例として認められるようになったそうです。
定家さん、あんたはエライ!





藤原定家公山荘跡の碑




秋の嵯峨野を歩くと、都会の喧騒を忘れて
別世界に遊ぶような気持ちにさせてくれます。
そんな意味で常寂光寺はまさにぴったりです。



常寂光土とは正に仏教上の永遠の浄土という意味ですから、
日常からの別世界を楽しみましょう。







関所の門のような、一風変った黒い山門






南北朝時代の藁葺きの仁王門

名前の由来として、この場所に仏教の理想郷常寂光土を感じたところから、常寂光寺と名づけられたようです。



本堂へ向かって小倉山を登る石段

歴史のある常寂光寺ですが、特に嵯峨野でも有名な紅葉の名所として知られています。



石段を上がると、鐘楼のまわりの紅葉が綺麗だ。



本堂は豊臣秀吉の居城であった伏見桃山城の遺構、ご本尊は十界大曼茶羅です。

常寂光寺は日蓮宗の寺院で、開山は究竟(くきょう)院日禎(にっしん)上人。
わずか十八歳で六条の日蓮宗大本山・本圀寺の法灯を継いでいる秀才でしたが、
 秀吉の東山方広寺大仏千僧供養への出仕(しゅつし)を拒否したため、この地に隠棲し常寂光寺を開祖しました。
当時、歌人として知られていた日槙上人に、隠棲の地を提供したのは角倉了以だといわれています。
了以の大堰川開削工事の際に、上人は末檀家にあたる瀬戸内水軍一族に招請の書状を送り了以の事業を支援しました。



慶長年間に起こった保津川洪水のとき、角倉町の舟夫が流れ着いた妙見菩薩神体を拾い上げ祀った妙見堂。



手入れが大変、二人で管理されているという。


  
重要文化財の多宝塔。
元和6年(1620)に京都の町衆が奉納したもので、後に霊元天皇から下賜された「並尊閣(へいそんかく)」の勅額が掲げられている。
その美しさは、石山寺の多宝塔と日本一を競うといわれる。



日禎(にっしん)上人を祀る開山堂。


角倉家の墓所。 隠棲の地を提供したのは角倉了以といわれています。




「謌僊祠(かせんし:歌仙祠)」藤原定家の木像を奉る祠。
現在の仁王門北にあったものを、常寂光寺創立時に山上に移転したそうです。
(「謌僊祠」とは明治23年定家卿650年祭に富岡鉄斎翁が命名したという)




藤原定家の時雨亭跡の碑。
開基日禎は、歌人藤原定家の山荘があったとされるこの場所を隠居の地と定め、お寺を建立しましたが、
日禎自身が歌人でもあり、平安時代の歌人藤原定家に憧れと尊敬を持っていたものと思われます。

藤原定家は有名な小倉百人一首の選定者ですが、名前はここ小倉山から取ったといわれています。





  
「女の碑」。 「女ひとり生き ここに平和を希う」当時参議院議員であった市川房枝の名の下に建てられました。
碑文の全文
 1930年代に端を発した第二次世界大戦には、二百万にのぼる若者が戦場で生命を失いました。
その陰にあって、それらの若者達と結ばれるはずであった多くの女性が、
独身のまま自立の道を生きることになりました。その数は五十万余ともいわれます。
女性のひとりだちには困難の多い当時の社会にあって、これらの女性たちは懸命に生きてきました。
 今、ここに、ひとり生きた女の“あかし”を記し、戦争を二度と繰り返してはならない戒めとして後世に傳えたいと切に希います。
さらに、この碑が今後ひとり生きる女性たちへの語りかけの場ともなることを期待します。
 この碑は、独身女性の連帯の組織である独身婦人連盟の会員が中心となって、常寂光寺の支援のもとに建立しました。
碑文揮毫 参議院議員市川房枝一九七九年一二月 女の碑の会









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