「法金剛院」と京都観光

 京都 嵯峨野「野々宮神社」
 

「法金剛院」京都ウエストサイド物語

   

璋子の寺「法金剛院」


京都、花園の法金剛院は、
今では小さなお寺ですが、
平安時代は貴族の山荘として、
大きな敷地を有していました。

日本で最も古い人工滝の
回遊式庭園があったそうで、
今も花菖蒲や初夏の紫陽花、
そして世界中から集めた蓮が有名で
大変人気があるお寺です。

そして待賢門院璋子
(たいけんもんいんたまこ)
の寺なのです。
    
  
  待賢門院璋子が美女でなかったら・・・ (個人的考察につき、ご理解のうえお読みください)
待賢門院璋子が美女でなかったら、歴史はどう変っていたのか。
下賎な私などは、すぐにそういう風に考えてしまいます。

  

平清盛や源義経など有名な平氏や源氏が登場していくキッカケは
崇徳上皇VS後白河天皇の「保元の乱」が始まりでした。

事の起こりは、スケベな超権力者「白河法皇」が、あろう事か
養女である待賢門院に手をつけたことから始まります。

自分の局のひとり「祇園女御」(平清盛の母という噂もある)に、
子供が出来なかったので、側臣の子を養女にしました。
しかし、その子が絶世の美女に成長すると手元から離さず、
孫の鳥羽天皇の奥さんになっても、密通を続けました。
密通と言っても、堂々としたもので公然の秘密であったらしい。



           白河天皇火葬跡




まあ当時の新生児の生存率を考えれば、直系子孫の確保は
せっせと行わなければならなかったのでしょうが、
娘に手をつけるというのはタブーだったろうになあ。

白河上皇の有名な言葉に、わしに自由にならんのは
「サイコロの目と加茂川の水と比叡山の僧兵」だけ。
つまり、他のことなら何でも自由だったと言うことです。

鳥羽天皇の奥さんになってからも不倫はつづきました。
鳥羽天皇としてはもちろん、面白くはありません。
だから白河法皇の種により生まれたと思われる「崇徳天皇」を
後々まで大変に忌み嫌いました。

ただ鳥羽天皇は待賢門院がキライだったかというと
その後、四男二女も子供をつくっているところをみると・・・
やはり、待賢門院は美しかったのでしょう。

 
 鳥羽天皇稜

関係があったどうかはかは別にして、
待賢門院を慕う男性は様々いたそうですが、
やはり、「西行」を抜きにしては語れないんです。

西行はもともと「北面の武士」です。他の武士とは違い
官位も与えられ、武芸と教養を求められるエリートでした。
そんな地位と名誉、そして妻や幼い子を捨ててまでして、
出家し、野に出て浮標の歌人となった人です。

その歌の世界観は壮大にして後人及ぶ者なしといわれ、
芭蕉でさえその域には達していないと言う人もいる程です。
その西行が終生恋した女性こそ、待賢門院でした。

ひとりの男が、人生をかけて自分を問い、煩悩からの
解脱を求めて流浪させるほどの「待賢門院」の美しさとは
どのようなものであったのでしょうか。

  
 西行法師

超権力者白河法皇が死ぬと 次期権力を狙う藤原氏は
鳥羽上皇に美福門院という美人を送り込みました。
親王も生まれたので、崇徳天皇を引きずりおろして
近衛天皇として即位させます。しかし病のため死亡すると。
とんでもないことに、美福門院は待賢門院がうしろで
呪いをかけて殺したのだとの巷に噂を広げました。

かわいそうな待賢門院は権勢を失い、とうとう
自ら再興した法金剛院に入り出家します。


鳥羽法皇が死んですぐ崇徳上皇が武士を集めて
起こしたクーデターが「保元の乱」です。

戦に負けた崇徳は、讃岐に流され恨みのうちに崩御しますが、
その怨念はすさまじく、中世に怨霊としての姿が定着して、
天神同様、近世になっても恐怖の対象とされていました。

 
 崇徳天皇怨霊図

単純に書いてしまえば、
歴史の渦に巻き込まれた、はかない美女の、
数奇な運命ということですが、待賢門院はどんな思いで、
この法金剛院で過ごしたのか、知る由もありません。

晩年「西行」は、待賢門院と再会しています。西行物語には
「黒髪は雪のように白くなり、眉は霜が下りたよう、顔の皺も波のようで、
昔とはうってかわった境涯に、西行は涙した」とあります。

 
 再会の図

待賢門院は天皇の奥方で、かたや西行は一介の武士でした。
所詮実るはずもなかった恋ですが、翻弄された生涯と、
流転の境涯を渡った二人だからこそ、年老いてなお、
互いの気持ちを認め合えたのではないかと想像します。

待賢門院が美人でなかったら・・・
崇徳天皇が怨霊になることもなかったし、
保元の乱も起こらなかったかもしれません。
歴史はどう変ったのでしょうかねえ?



待賢門院は今も、法金剛院の北、五位山中腹の花園西陵に眠る。







 























あまりに近すぎて・・・

法金剛院が素晴らしいお寺だと言う事は聞いていましたが、
実際のところ、拝観したのはつい最近の事でした。

実は、あまりにも近くにあって、いつでも行けると思うと
なかなか入ることができなかったのです。

なにせ、このお寺の裏には今も残っていますが、
子供には格好の遊び場である、空き地があって
日が暮れるまでよく遊んだ場所でした。



平安時代には、此処にとても大きな池があったそうで、
貴族たちの優雅な舟遊びの場でもありました。
すぐ横に双ケ丘、うしろに仁和寺や大内山を控えたこの地は
むかしは、さぞ風光明媚であったろうと想像できます。

貴族が山荘を建てた後に双丘寺となったのが始まりで、
それが今から1200年ほど前といいますから、
法金剛院は大層歴史のあるお寺なのです。

平安末期にはたくさんの御堂や宸殿、三重塔が建ち並び、
特に極楽浄土を模した庭は、四季折々の花で美しく、
日本最古の人工の滝までつくられていました。

京都には珍しい、律宗という宗派で、天平の寺として名高い
唐招提寺に属していると言うのですから、只者ではありません。

その後、応仁の乱で焼かれたりして、
衰退と復興を繰り返したようですが、
明治時代に国鉄の山陰線が開通した事で、
寺の境内の半分を失くしてしまいました。

おまけに、現在では新丸太町通りまで開通して、
門前をけたたましく車が行き交い、排気ガスで
苦しそうな山門を見ると少し可愛そうに見えます。

本願寺が、山門前の市電の路線を不敬だと怒り、
そこだけ曲げさせたというのは有名ですが、やはり
浄土真宗の方が律宗より強かったんでしょうか・・・

とにかく寺の敷地は削られ、その後も宅地開発などで
寺の周りの環境は一変しました。もう昔の平安貴族の見た、
優雅な花園の景色は決して見ることはできません。

そんな思いで、法金剛院に一歩足を踏み込んでみたら、
さにあらず、双ケ丘を借景に、当時の優雅な花園の片鱗を
まざまざと想像することができたことに驚きました。









左の門が法金剛院、右手奥に見えるのがJR花園駅。



しばし庭をながめてから眼を閉じて、私が生まれた花園の1000年前に想いを馳せる。








ご本尊 阿弥陀如来坐像 (重要文化財) パンフレットより 
現存する阿弥陀如来像は像高2.2メートルを超える大作で、間近で拝観できるため、圧倒的な迫力があります。
他にも重要文化財を多数見ることができますので、必ず拝殿に上がられる事を進めます。



   
「池泉廻遊式浄土庭園」と「青女の滝」(あおめのたき)  国の特別名称に指定
待賢門院が極楽浄土を模して造園させたという庭ですが、特に僧侶の林賢と静意の咲く「青女の滝」は
現存するもので、発願者と作者がはっきりしているという点で、大変貴重なものだそうです。

このれは、昭和43年に庭園の発掘調査が行われ、埋没していた「青女の滝」と思われる巨岩を復元したものです。
地表に一部露出していた石組みを掘り下げていくと、4メートルもある見事な滝の石組みが現れました。
林賢は作庭の名人だったそうですが、待賢門院は滝をもっと高くせよと命じられたそうです。



     待賢門院堀河の歌碑
   『ながからむ心もしらず黒髪の 
             みだれて今朝は物をこそ思へ』


   待賢門院璋子は和歌をつくるのが
   不得意だったらしく、あまり残ってはいません。
   待賢門院璋子に長く仕えていた女房で
   堀河という女性は和歌に長け、
   女房三十六歌仙のひとりとして有名です。
   待賢門院璋子が落飾し法金剛院に入ったときに、
   堀河も一緒に出家しています。

   なぜ、この歌碑がここに建てられたかは
   パンフレットにも載っていませんが
   待賢門院に縁である事には違いありません
   しかし、それより歌詞の内容が過激です。

   「あなたの愛が末長く変わらないものであるかどうか、
   そのお心も私にはわかりません。
   あなたとお別れした今朝は、この黒髪が乱れるように
   心も千々に乱れて、物思いにふけっております」
   という内容ですが・・・
   これは「後朝」の歌なわけです。
   「後朝」と書いて(きぬぎぬ)と読みます。

(こうちょう)と読んでもかまわないのですが、そこが日本文化の奥深さです。 「黒髪が乱れた朝」というのは「SEXで乱れた翌朝」という意味です。
これをかっこ良く書くと「後朝」となるわけですが、なぜ(きぬぎぬ)と読むかというと、男女が互いに衣を重ねて共寝した翌朝、別れるときに身につける
それぞれの衣服を「衣衣」と書くことがあります。そこで「後朝」をわざと(きぬぎぬ)と読ませるのが日本文化の奥ゆかしさなのです。

しかし、この歌碑をここに建てるというのも、ほんとうに艶かしいですなあ。




                                パンフレットより拝借
   



法金剛院は別名「蓮の寺」とも言われる。極楽を模した庭には蓮がよく似合う。シーズンになると
世界中から集められたという蓮が、苑池や鉢に植えられてみる人を心を清めてくれます。
そのほか、枝垂桜、花菖蒲、菩提樹、紫陽花に秋の紅葉など、四季折々に楽しめる。










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