花園といえば花園天皇
花園天皇といえば妙心寺です
花園天皇は今から700年前の、
第95代の天皇にあたります。
時あたかも皇室と北条・足利の
両政権をめぐる激動の時代でした。
幼少から健康に恵まれなかったこともあり、
政治には関与せず、ひたすら
精神生活に沈潜された天皇でした。
絵画・書籍の観賞や読書研究に努め、
歴代天皇の中でも、その学識や読書量は
並はずれていたといいます。
39才で出家して花園法皇となり、
京都洛西の地にあった花園離宮を
禅寺に改め、正法山妙心寺を
開創されたのがこの地の由来です。
権力に翻弄された人生ののち、
真の安心を得たいという熱い思いが
この花園の地には込められています。
花園といえば花園天皇、
花園天皇といえば妙心寺なのです。 |

花園法皇

妙心寺 伽藍 |
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私の生まれたところは、花園坤南町
私が生まれた「坤南町」という町名は、十二支の方角からつけられた名前です。
京都市街の碁盤の目の、内側に住む子供と、
私のように外側で育った子供とは、微妙に違いがありました。
京都特有の町衆の世界では、昔からのしきたりや年中行事、
古い風習がいまでもたくさん残っています。
花園育ちの私なんぞは、街中の子供から見れば、田舎者か
いわゆる新興住宅地の子のようなものでした。
そうなると遊ぶところは自然に、より西側へと広がりました。
おもしろいものでまったく東の街中には興味がありませんでした。
ハイキングと称して、嵐山から保津川をのぼり、
清滝川から高尾をまわって、ヘトヘトになって
帰ってくるような遊びをしていました。
だから、私の昔の思いでは、ウエストサイドのことばかりです。
読めますか?「坤南町」(こんなんちょう)
むかしから住所を書いたときに、「坤」とうい字を
「こん」と読める人はあまりいませんでした。
一般的には使われない漢字で、当用漢字にもなくて、
運転免許証の住所をタイプで打っていた頃は
「坤」という字だけ手書きだったのを覚えています。
京都は表鬼門の「艮」(丑寅・うしとら)の方角に比叡山があり、
反対の裏鬼門を表す文字が「坤」という字なのです。
ちなみに京都の裏鬼門の守りは、松尾大社とも
石清水八幡宮とも言われ、はっきりしたことはわかりません。

「肇花亭」と、洒落てみました |

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空き家だった実家に、父の名前と地名の花園をかけて
「肇花亭」(ちょうかてい)と名前をつけました。
看板を掲げたら、それとなくいい雰囲気に・・・?
近所の人が商売でもするんですか、と聞いてきましたが、
「いえ、べつに」とこたえると、怪訝な顔をしていました。
町内の寄り合いや、お茶会をひらいたり、
友人が宿泊したりして、便利に使っています。
HPを見ていただいた良識ある大人の方々にも、
開放していこうと思っています、ご連絡ください。
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平安の西京極 花園と 木辻&牛若丸
平安京の頃は、この辺りが「西京極」であり、
現在のJR花園駅あたりに南北にわたる大路がありました。
そこから一本東にある「木辻通り」も、
その昔はとても大きな大路だったそうです。
現在はそんな面影の微塵もなく、
車一台がやっと通れる程度の幅しかありません。
この木辻町は源義経と縁があるともいわれており、
「吉次と牛若奥州下り」ゆかりの
義経かどでの、願王寺地蔵堂があります。
義経の首途八幡宮なら西陣にあるぞ!
おっしゃる通り。しかし
「木辻」の音が「吉次」に通じて、金売り吉次の別宅が
この地にあったとされ、牛若丸が身を寄せたと伝えられています。
八幡宮同様、このあたりにあった屋敷の井戸から湧き出る清水で
水さかづきを交わしたと伝えられる、義経首途乃井の碑があります。
花園を東西に貫く下立売り(しもだちゅうり)通りは、
かつて近衛大路といい、たいそう大きな通りでした。
現在では妙心寺道と言いますが、30年程前に西大路通りから
新丸太町通りが嵐山まで貫通したため
町並みは大きく変わり、少しさびれてしまいました。 |

現在の木辻大通り |

願王寺地蔵堂 |

義経首途乃井 |

下立売り通り |
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いろんな野菜で造られた ずいき御輿 |

町内の地蔵盆 |
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子供の頃には路地にいっぱい楽しみがあった
縁日の出店屋台は子どものころの楽しみでしたねえ。
お盆の妙心寺には「お精霊迎」、秋の豊作を祝う「ずいき祭り」では
北野天神の御旅所に色とりどりの野菜で作られた御輿が来て、
子供心にも、不思議な美しさに見入ってしまいました。
8月下旬には、京都特有の「地蔵盆」も行われます。
お地蔵さんの前に屋台を組み、花や餅などの供物をそなえて
「百万遍大数珠繰り」を行う子供のためのまつりです。
むかしの地蔵盆はそれは盛大なもので、
盆踊りのほか喉自慢や仮装行列までありました。
ちなみに子供の頃、素っ裸の身体を緑色に塗られた姉は、
背中に甲羅、くちばしと水かき、頭に皿をのせられて
見事な河童に仮装させられて、第三位に入賞していました。
しかし今では、子供の頃に楽しみにしていた年中行事も、
少子化のせいか、年々寂しくなっていくばかりです。
季節の行事が行えなくなっていく町内や町の増える事と
昨今の、いじめや、異常犯罪が起こることとなにか関係が・・・
と考えるのはちょっといきすぎでしょうか。
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