「大覚寺」と嵯峨天皇
大覚寺は京都の北嵯峨にあります。
嵯峨という地域を開発し、
嵯峨としたのは嵯峨天皇であり、
その中心地に嵯峨天皇の山荘とも言うべき
嵯峨院がつくられました。
やがて嵯峨院は天皇の離宮となり、
嵯峨天皇没後に大覚寺になりました。
つまり、大覚寺なくして嵯峨はありません。
それほど嵯峨にとって重要なお寺が大覚寺なのです。
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時代劇と大覚寺
現在も北嵯峨は景観保全区域で守られており、
極力電柱を立てないように注意しているそうです。

大覚寺から広沢の池までの千代の古道は、
わたしの子供の頃とほとんど景観が
かわっていなくて嬉しい限りです。

そんなわけで、よく遊びに行った北嵯峨あたりでは、
いつも時代劇の撮影に出くわしたものです。

中学生ぐらいになると、テレビや映画を見ていると、
見覚えのある寺や神社、道や池が
判別できるようになってきました。
特に大覚寺は太秦も近いし、やたら登場してくるお寺で
、巨大なオープンセットといった状態でした。
必殺シリーズでは、大沢の池のたもとで、
毎回同じ場所が登場するので、
松の木に印でも付けておいてやろうかなどと、
いたずらを考えてたほどです。

とにかく門や宸殿、護摩堂に限らず、池や塀、堀にいたるまで、
じっと見ていれば必ず見覚えのある光景が現れます。
大覚寺に行ったら、時代劇のカメラマンになったつもりで
頭を切り替えて観光すると面白いですよ。
野辺の嵯峨菊
また、大覚寺は生け花「嵯峨御流」でも有名です。
とりわけ嵯峨天皇は菊の花を好まれて、
大沢の池の小島は菊島と呼びます。

この島に咲く野菊を嵯峨天皇が生けられたら、
みごとな形になったことが「嵯峨御流」の発祥といわれています。

花弁が細く華奢な嵯峨菊は、大沢の池に自生する野草でした。
今では品種改良もされて、40種類以上になったそうです。
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